展覧会より

鶴岡政男展を見て

田中秀樹

大変お恥ずかしい話であるが、私にとって鶴岡政男の作品をまとめてみるのは今回が初めてである。自由美術の会員としてはありえないような話であるが、なぜか機会に恵まれなかった。10年ほど前、神奈川県立近代美術館で展覧会が開催され、自由美術でも大いに話題となったが、様々な都合から出掛けることができず見損なっていた。今となっては返す返すも残念としか言いようがないが、それだけに今回の鶴岡政男展には大きな期待があった。

私が自由美術を知った頃、鶴岡政男はすでに伝説の人であった。以来それほど詳しいことを知ることもなく“鶴岡政男なくして自由美術は語れない”といったセオリーのみが常に頭の片隅にあった。そうして迎えたこの日であったためか、会場を一回りすると十分な手ごたえを感じて胸が熱くなった。

個人的には彼の代表作とされる“重い手”周辺の作品が好きで、今回も“夜の群像”が魅力的に感じられ,作品の前で足が止まった。そこに描かれた人物の形や動き、そして色合い。また粗目のタッチとそこから生まれる絵の具の重なり…。どこをとっても私には申し分のない感動的な内容であった。画面そのものの魅力とともに全体から発せられる当時の抑圧された社会へ向けての精神的な主張に非常に深いものが感じられて引き付けられた。そのままかなり長い時間作品の前に佇んでいたように思うが、作品を見ながら鶴岡政男の精神性を見てとろうとの意識が強く働いた。おそらく彼の生き方から来るものであると思われるが、作品を見る場合もその精神性を意識してしまう。“夜の群像”に限らず彼の作品には精神面を強く意識させるオーラが感じられる。

一巡りしてまた入り口に戻り最初から見直した。今度は、鶴岡氏ご本人の娘さんたちを描いたというガラス絵と、“転がっている首”と題された塑像に目が止まった。ガラス絵はどの作品も単純化されて絵本にでも出てくるような可愛らしい女の子の絵である。塑像は、細かな形には一切こだわった様子がなく、文字通り転がっているといった風の作品であるが、その力強い塊の感じが実に心地よい。いずれの表現もなんと自由なことか。立体については彫刻家の木内克に手ほどきを受けたとされるがそのあたりからも鶴岡政男の自由な精神が感じられる。

釣り好きな私にとっては、“獲物”“蟹( デッサン)”あたりの作品も非常に興味深かった。そうした作品を見て進みながら、はてはご本人自作の釣竿である。そこにいたって思わず笑ってしまった。ここまでやるかと…。さらに、釣りに出かけて大漁の際には友人に配ったというから面白い。戦争、友人の死、そして自らの生活苦等多くの苦労があったかと思われるが、そうした苦労をみじんも感じさせないおおらかなエピソードである。このおおらかさは、彼本来の自由な精神と、表現あるいは制作そのものに向かうことで得られる充実感によるものであったろうか。

繰り返し会場を巡りながら何よりも驚かされたのは彼の表現の多様さとその変化の有り様である。さほど長くはない期間に表現がどんどん変わる。そのめまぐるしさに圧倒された。鶴岡政男の絵のスタイルにおける旺盛な変貌ぶりは繰り返し言われてきたところであるが、これほどまでとは思わなかった。しかし、その作品はどれも不思議なリアリティーを感じさせる。様々な文献を見る限り、また彼が残した多くの作品を見る限り、彼は何物にもとらわれない自由な精神の持ち主であった。絵に於いてもまた日常生活に於いても羨ましいほどに自由であった。そしてその自由さが事の本質に向けて、或いは真実に向けて掘り下げずにはいられない彼のエネルギーへと紡がれていったのであろう。結果の良し悪しはともかく、表現スタイルを次々と変えながら、その一つ一つに彼なりの必然性があり、そこにのめり込むようにして集中していったに違いない。自分を、周囲の人々を、そして社会全体を鋭く見つめながら内に込み上げてくるものを正直に彼独特のリアリティーで表現したものが今、目の前に並んでいる作品群なのだ。

私自らの姿勢に大きく響き渡る、実に充実した一日であった。

特集展示 生誕110 年人、鶴岡政男逃のがすな。2018.2.10 ㈯ 〜 3.25 ㈰  於:高崎市美術館

伊藤朝彦個展雑感

市川秀光

都美術館改修前のことだから、もう 20 有余年にもなる。自由展の会場に至るロビーで、日も暮れかかって、薄明るい空間に、連れ立った家族の群れる景色が脳裏に焼きついている。荒涼とした原野に、親鳥が羽ばたいて、逃げる小鳥をしゃにむに追いかける様に似て、浮き浮きと喜びに溢れていた。彼の口からは、家のことなどは聞くこともなかった。妻や子、孫に、いかほどの深い情緒を注いだ景色かと思われる。

作品番号8「永眠」F50 号

春の日の明け方、潤いに包まれた中で、妻は、布団から、裸足を出して床についている。周りで鳥が囀り、猫がねそべっている。一寸、微笑みたくなる絵だ。妻の決別を内に秘めて、筆を走らせる。何を伝えようとしているのか。

作品番号1「家族」

陽光のふり注ぐ中、人、人、人が、天空に向かって腕を突き上げている。力強い躍動感に満ちた絵だ。何処かに、光明を求めた作品だ。新しく生きる力を感じさせる。

伊藤さんの作品を長い間見ていると、人の生きる原形を家族の実相の中で、辛抱強く思慮を重ね、「生きること」の意を、追い続けたと思われる。このことは、人間そのものへの思考を深め、敬愛と尊厳を昇華させる道程のように思われる。さらなるご活躍を。

何とも貧弱な感想で申し訳ありません。敬愛の祈りをこめて。

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