田所幸一さんの人と作品

窪田旦佳

 

田所さんとの最初の出会いは、浦和の県立図書館ホールでのグループ展だった。図書館ホールは県立図書館の入口近くにある展示室で、小さなグループ展ができる程度の広さであった。そこに150 号ぐらいの大作2 点を搬入してきたのが田所さんであった。はたして展示できるろうかと思われる程であったが、無事展示して、その後何回か図書館での展示が続いた。

会期中に埼玉会館の建設の準備中だった設計者が展示を見に来て、埼玉会館の中に展示室を計画していると話していたが、1966 年に埼玉会館が完成し、1967 年から使用が可能になった。埼玉平和美術展などがその広い会場を使って毎年開かれた。田所さんも私も出品して、田所さんと親しくなり、搬入搬出をお願いしたり、お互いの家にたびたび訪れ、行き来するようになった。

田所さんは、高萩市の大きな書店の9 人兄姉の末っ子で、屈託のない大らかな性格で、すぐ親しくなった。武蔵野美術大学時代に学生結婚の奥様もやさしいおだやかな方であった。奥様は福井県の出身と聞いて、私も福井県生まれなので何となく親しみがもてた。

田所さんの家は、浦和の郊外の小高い台地の中の住宅地にあった。浦和のさぎ山も近く、さぎの絵も多く描いている。近くの見沼用水の歴史にも関心があったようで、平凡な風景にも歴史があり、住んでいる人達の心にもさまざまな感慨があり、それらを感じながら絵を描くことが楽しいと語っていた。

田所さんの風景画は、この浦和郊外の田園風景がモチーフになっている。朝もやの中に浮かぶ黒々とした樹木、白い空間に広がる田畑の起伏や、川の土手や道の傾斜など、平凡な風景の中にも様々な変化を見つけると同時に大胆に単純化し、白い背景にはけにつけた墨一色で樹木や丘を描いて、極度に単純化されたモノトーンの印象深い画面を創りあげている。

1970 年には、シェル美術賞2 等賞を獲得し、芸術生活画廊コンクールにも入賞して、同画廊で個展を開いた。この画廊での個展は風景画をはじめ、人物像、さぎの絵なども並び、この時期の秀作が並んだ充実した個展であった。

その後、フランスに渡り、1977 年まで約2年程滞在して制作を続けていた。ヨーロッパ各地を旅行してスケッチをしたり美術館等を巡り、充実した日々を送っていたようである。パリの公園のベンチにたたずむ老人達を描いたのはこの時期で「しんぶんおじさん」「ハトおばさん」「ふたりのおじさん」等、何かペーソスを感じさせる人間味あふれる連作が生まれた。その後、モロッコまで足をのばし、異色ある人物画を残している。

1978 年には、作品「かさおばさん」で自由美術賞を得ている。この作品は白いベンチに丸いかさをさすおばさんと、三角のかさをさしているおばさんを並べて描いた造形的にも印象的な作品であった。この年には、「樹下の人」や「読書する人」などグリーンが効果的に使われている作品も目立つ。

1979 年には、シェル美術賞一等賞となり、文化庁主催現代美術選抜展や、翌1980 年のシェル美術賞歴代受賞作家展など多くの展覧会が続いた。

田所さんは、健康には特に気を使っており、毎日適度の散歩をしたり、酒やタバコにも縁がなく、いたって健康そうな日常であった。しかし、腎臓を患うようになり、透析に通うようになってしまった。病院に行く時は自分で車を運転していたが、帰りは疲れて奥様に運転してもらったようである。

2007 年の4 月、突然田所さんの訃報を聞いて驚いた。丁度私自身入院中で葬儀にも行けず残念であった。退院してすぐ焼香にうかがったが、奥様が傷悴しきった様子で気のどくであった。

U展の会期中に埼玉県立近代美術館の階段を降りて行くと、控室で快活に話す田所さんの声が聞こえてくることが多かった。その言動はズバリと本質をつき、卒直で明快であった。作品もその人柄そのものと云えると思う。

志の高い田所作品の数々は、清澄なエスプリにあふれ、その人柄とともにいつまでも心に残っている。2007 年4 月没   享年69 歳

 田所幸一 略歴

1936 茨城県高萩市に生まれる

1961 武蔵野美術大学西洋画科卒業

1960 ~ 77 日本アンデパンダン展出品

1961 ~ 82 平和美術展出品

1967 ~ 82 埼玉平和美術展出品

1968 ~  自由美術展出品

1970 シエル美術賞展2 等賞  芸術生活画廊コンクール入賞

1971 自由美術協会会員となる

1971、73、74 シエル美術賞展佳作

1975 ~ U展出品

1978 自由美術賞受賞

1979 シエル美術賞展1 等賞 現代美術選抜展出品

1984 現代茨城の美術展出品

2007 永眠 享年69 歳

2009 4 月 遺作展(埼玉県立近代美術館)

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