大成瓢吉さんの明快

大野修

 

編集部から大成瓢吉さんについての原稿依頼をうけた。大成さんは自由美術は勿論のこと他の世界でも活躍され、その影響を受けた人はたくさんいるが、今の若い方の記憶にないかも知れないので、簡単画歴を記すと1927 年岡山県生まれ、東京美術学校入学、1960 年自由美術協会の会員となる。

紀伊国屋画廊など企画個展、グループ展など多数、安井賞展、読売と日本アンデパンダン展に出品、平和賞を受賞、講演会や音楽、舞踏の発表会にも参加し主宰もされる。2006 年逝去。過去、東京の自由美術の会員でつくられたグループが沢山あった。濁、証言、視群、黒の会、列、三人の会、むさい、などなど、一家言ありの猛者がいてその数40 人は下らない、紙面を食べるから名前を列挙することは出来ないけど、大成さんは濁というグループを率いて運動を引っ張った。私は大成さんほど多方面で創作活動をした人を知らない。絵画はもちろん、立体作品、写真、映像、舞踏、音楽演奏。ピアノ、ドラム、シタール、ギター、笛、シンギングボール−−−−をともなうパフォーマンス、大成論の講演会、少しその様子を垣間見ると、朝日カルチャーセンター主催のパフォーマンスを企画された時、

その六夜にわたったタイトルをあげるので想像してほしい。舞台には大成さんのさまざまな影像が投影され現代a r t の話しからはじまる、第一夜>映像をバックにベースと踊り 二夜>落語、お囃子−−−お祭り気分 三夜>音楽に合わせて自由なポーズ  四夜>天上的な気分を楽しむ  五夜>教室は別世界になった  六夜>アフリカ気分を満喫。新宿の朝日カルチャーセンターでは音楽、映像を伴った身体をぶっつける気迫の講座は断トツの人気で、その講座から自由美術に出品した人、会員になった人も出た。それらの活動についてはたくさんの評者がくわしく書いて発表されているのでそちらに譲るが、私は大成さんの創作活動は一番絵に集約されていると思うから、絵を反芻したい。

初期は牛、野菜などを描いたタッチが踊った軽快な作品で、暗い絵が多かった自由美術の作品の中で目立っていた。それに自由美術の作品を反面教師的に見ていたように思う。しばらくして抽象的表現になるのだがその姿勢は一貫していて、形と色彩が不可分のものとしてあり、①形は意志が通り明快でなくてはならぬうじゃうじゃ気分的にごまかすな、②色彩の純度を高めよ暗くて味っぽい色から抜け出せ、③マチエールの先追いをするな、④音楽的要素ムーヴマンを心がけよ、⑤カラッと行け深刻作品はダメぞ! −−−大成さんの作品の変転は年月と共に徐々に培われたものだが、その経過の中でも、38 才の時にキューバの世界青年友好祭に日本美術会から派遣されたメキシコなど南米の旅。48 才中近東ヨーロッパ遊泳。51 才中南米美術研修旅行。54 才インド、スリランカの旅。56才ニューヨークでの現代アメリカ美術の研究。など日本を外からみたその見聞を経て作画の確信を強く持たれたのだと想像する。

美術出版社が出した 大成瓢吉の空中散歩という大部の画集があるが、その中に、<私にとって線は大事な要素だ。五感に何かを感じたら、ほとんど動物的な衝動に駆られて手を動かす。テンションを高め、わくわくした線を引くことができれば、線は自在に動いていく、自然の中で、宇宙の振動に身を任せて描いてゆきたい>という言葉がある。又<色も音も波で出来ていて、基は同じだ、音のように色彩を使いたい>という、音楽的で明朗で天上的な作品が生まれる。大成さんは他人に気を使う屈託のない人だが、それは氏の何十分の一側面でどのような人であったかを私は述べる資格はない。しかしこれだけは言える。奥様の節子さん(自由美術の会員)お子様の恵さん、教え子、友人、知人−−−−これほど人に恵まれた人はいない。

惜しむらくは自由美術を奥様と共に退会された。これは我が会に問題非があり、子細は述べないが歴史はくり返してはいけない。

私たちの作品の大方は私をふくめてdream island に行くのであるが、箱根、湯本に空中散歩館を建てられた。そこには瓢吉、節子、恵さんの作品が展示され、ピアノをはじめ種々の楽器がおかれ、くつろげる空間となっている。ここに大成さんの一文がある。<このアートスペースは生活空間の中にあり、制作・発表・収蔵を直結させる構想を実現させたものです。空中散歩館と名づけたのは、私の作品のテーマが浮遊感覚と生きる喜びや開放感といった内容だからです。ここの自然環境の中で作品を見る、動かす、触る、音を出す−−−好きなようにゆっくりと時間を過ごして下さい。アートはあなたのすぐ隣りにあります。常に進行形で、今日的な美術館であることを希っております>

私にとって大成瓢吉さんの世界は、深い洞窟の底から青天を望むがごとく、あこがれの彼岸でありうらやましく思う。 (下線大野記)

 大成瓢吉 略歴

1927 岡山県に生まれる

1944 上京、川端画学校に入る

1946 東京美術学校中退

1949 杉並区荻窪にアトリエを建てる

1952 自由美術家協会展出品 84 年まで

1958 ~ 86 大成絵画教室を主宰

1960 ~ 80 日本アンデパンダン展出品

1960 自由美術家協会会員となる

1969 自由美術展平和賞受賞

1974 朝日カルチャーセンター(新宿)の講師となる

1976 ~ 86 紀伊国屋画廊個展(7 回)

1984 自由美術協会を退会し、無所属となる

1988 湯河原に転居、空中散歩館が完成

2006 永眠 享年79 歳

2007 1 月 大成瓢吉展(紀伊国屋画廊)

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