鬼頭 曄の生きた時代

水島哲雄 ミズテツオ(画家)

 

にこりとした。女の声のつややかなこと。

鬼頭 曄が日本で死んだ時

私はイタリアに滞在し、絵画制作に没頭していた。

死んだことは後から知った。

 

彼の口ぐせ画家は絵で食ってこそ画家であり

それ以外は皆すべて素人だ。

そういうパリ帰りの彼にあこがれ

 

彼を愛した女房どもは、

彼は画家よ、やだー男よ、可愛がってくれたわ。

そうね 何もかも命がけだったわ

 

あのカウンターのちょっと年のいった女、

いいな ねてみたいな

真冬のことだ。彼は上着をぬいだ。

老人ぽく見えた。

六十には時間があるように思えた。

彼は絵に対するエネルギー、

しぼりあげる生命力は

画家としての宿命を背おった

 

いつも 三ツぞろいの背広

ステッキ

すべてのエセ画家を馬鹿にするひとみ

そのひとみはかわいく 私はすきだった

 

誰がみても彼の絵とわかる、革命…。

画家なら女を利用するが彼はそのことに関して

は天下びと

パリの男と同等の役目をなし、芸術でも一歩

ぬきんで、日本の感性の美しさをみつけて

帰国

時々 ある時代には

そういう男が世に現われ

幸福をばらまき

哀しき男を演じ

選ばれし男は

世にいうピエロ

カフェの片すみ

女と男の生きてゆく

60 年は

0.5 秒の肉体は

求め合うほど

絵画は深みをまし

品性はほうかいし

リアリズムの

おとし子に 

変ぼうし

死は

一つの

格言をつくり

ゆりかごの

子等に

道をとく

あゝ

鬼頭 曄

さよなら

そして

アンシャンテ

 

 二〇一八・八・一六

 アマティにて

 

 

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