わたしの自由美術

小 暮 芳 宏

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小 暮 芳 宏              「標的」

編集部より以下のような自由美術協会本展パンフ原稿依頼を頂きました。

『自由美術には、シュール系のすばらしい先輩が数多くいました。少し想い出すだけでも、西八郎・上野省策・東宮不二夫・有村真鐵・井上肇・長谷川匠・藤林叡三その他、数多くの作家がいました、しかし今は少なくなり、寂しい限りです。最近の会員の中には、そのような先輩の存在さえ知らない人がいるように思えます。ご自分の制作の事、自由美術の先輩の仕事のことなど、お考えを書いてくださればと思います。』

補足、有村真鐵氏は自由美術協会を退会していますが、群馬県美術会及び自由美術群馬研究会等、現役で活躍されています。

以下文中敬称略。

東宮不二夫・有村真鐵・井上肇とは自由美術群馬研究会で共にしているので、この三者について述べたい。特に井上肇は中学の恩師であり自由美術に出品する契機になった人である。 彼らの作品を見ての印象は、堅牢な画面とその妖艶ともいえる美しさであり、不可思議な愉悦がそこにはある。

シベリア抑留帰還者でもある東宮不二夫の、酷寒のシベリアの果てしない漆黒ともいえる空の群青。

長崎県大村を出生地とする有村真鐵の描く、人類の愚行を背景に浮かぶ浦上天主堂。

「兄の軍服」を描いた井上肇の軍服。

シュールレアリスムと言われる彼らの作品ではあるが、それは安易に類型化された評価であり、的を射ているとは思えない。 一般的には奇異に見える絵であっても、彼らにとってはごく自然な表現であり、「キャンバスに絵具を乗っけただけの凡俗な写実画」には無い奥深さ、あるいは「奇をてらった陳腐な強迫観念に怯えた詭弁的産物」には見られない面白さがある。

また、反戦的プロパガンダ画とするのは浅はかな教条的で一面的な見方であり、それらとは一線を画すものである。

彼らの絵には、自己属性に基づく動かしがたい強固な意志がそこにはあり、知的生命体ならぬ痴的生命体の本性を露わにした人間の深層に横たわる得体の知れない物への、強烈な戒めと警鐘の情念的表明を感じる。東宮不二夫・有村真鐵・井上肇と出会えたことは、私にとって幸運だった。

東宮不二夫は言った。「描きたいものだけ描けばいいのだ。」

井上肇は言った。「絵なんか下手でいいのだよ。」

何を描いたらいいか解らなかった自分に、この言葉は勇気を与えてくれた。

有村真鐵の鋭い洞察力とその優れた慧眼は素晴らしく、私の作品制作の羅針盤となった。

結果論であるが、自由美術は私にとても合っていたと言える。

東宮不二夫・有村真鐵・井上肇に代表されるように、自由美術は作家の個性と長所を的確に見出してくれ、それを伸ばしてくれる。

時に、短所をあげつらい、己れのちんけな存在理由を確認したいがために、地位的権威を後ろ盾とし、他者を服従させ、敬意を払ってもらわねば埋めることのできない空虚な哀れな輩もいるが。

自由美術は、「自ら考えることの労力を放棄し他者の価値観に盲従する平安」を忌避し、自己の葛藤することへの疲弊や苦痛はあれ、そこにこそ生きる喜び与えてくれる。と信じたい。

最後に、井上肇のことを少し。

井上肇は、中学三年時の担任であり美術教師でもあり最も印象深い存在であった。

当時は不勉強にして画家としての井上肇をよく知らなかった。確かに、美術の授業で自身の絵(軍服だったか鉄兜だったかは記憶が定かではないが)を見せてくれたことはあったが、自由美術に出品するまでは、「軍服を描く画家」という認識はなかった。と言うか、恥ずかしながら、自由美術そのものを知らなかった。

井上肇の美術の授業は面白いもので、技術的に巧いだけのつまらない絵は全く評価せず、巧拙に関わらず見どころのある絵をよく褒めていた。前述したように、「絵なんか下手でいいのだよ。」の意味が最近解るようになってきた気がする。

中学卒業後、ずっと気になっていたことがあった。美術教室に貼ってあった「鍬を振り上げた農夫のデッサン」は誰のかと、後年井上肇に尋ねたことがある。

「ゴッホだよ。」

例え、どんな過酷な状況に身をやつすことになろうとも、なにものにも媚び諂うことなく、自惚れることなく、思い上がることなく、確かな理念に裏付けられた矜持を常に持っていたいと思う。

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