1900 年代末まで自由美術パンフに掲載されていた“自由美術の動き”(歴史)と1964 年の画集に掲載されました“自由美術展の傾向の中から”(展覧会評)を久し振りに、再録します。当時を知る1つのきっかけになればと思います。
(編集部)

自由美術の動き

第1期−戦前1937(昭和12 年)自由美術家協会創立。第5回展まで上野桜丘美術協会で開催。小市民的な自由主義と斬新なモダニズムで注目された。

1945 年太平洋戦争勃発、「自由」の名が問題となり「美術創作家協会」と改称さられたが、1945 年より公募は禁止され敗戦にいたるる

第2期− 1947(昭和22 年)旧称に復し再出発はじめて都美術館にて開催。この後一、二年の間に数十名の会員を加え、大公募展の形をとり会の性格は一新された。敗戦後の熱気のある混沌を正直に反映したいわゆる「暗い絵」が多く、新しいヒューマニズムの美術団体として大いに注目されるに至った。

1950 年モダンアートグループ退会。この脱退により自由美術の性格が決定した。

第3期− 1950 〜63 年

年々多数の新人を迎え、作品は多様な内容をもち「自由美術型」の更新が求められた。しかし常に流行に迎合せず個人の主体性と民族性が強調された。

第4期− 1964 年、十数名の会員が退会した。これは会員作品相互審査の是非によるもので、非とするものは去り、我々はここで三度び若さをとりもどし「自由美術協会」として発足した。64 年は自由美術賞、66 年は愛光賞、68 年には平和賞を設定した。

◎自由美術展の傾向の中から

自由美術の芸術運動は、一つの形式主義に抵抗し超克しなければならない現実に当面しております。この形式主義はヨーロッパやアメリカの芸術運動を浅薄な形式主義で追従し模倣することしか知らない考え方からきたものであります。そしてこの問題は単に芸術の世界だけのことではないように思われます。

自由美術は敢えて表現形式上の限界をもっていませんが、日本の現実に根を下した新しい芸術創造の主張で結ばれた若い美術家の集団であります。

ここで自由美術のいくつかの特色ある傾向についてのべますと、非具象に心理的抽象と表現的抽象、具象に生活的具象と表現的具象の二つがあります。表現的抽象と表現的具象はほぼ同じ考え方でありますが、表現様式の上で抽象と具象とにわけられますので一つ傾向としてあげることにします。

心理抽象派

抽象絵画は形と色形の組合せと、それらの比例の均衡による調和と解してよいと思います。従ってそこに何らかの事物の意味を求めたならば恐らく失望することになるでしょう。しかし、絵画が線と色面ですべて割り切られてしまったならば、われわれはそこに想像力の入りこむ余地を見失ってしまい、完全抽象の行き詰まりや、定形化を招くことになります。そこで非具象絵画と呼ばれるものには、人間性の回復が強くのぞまれ、当然ながらそこには作家の心理の陰影を多分に帯びることになります。

生活具象派

芸術はすべて自我の主張、自我の漂白でありますが、その自我の位置をひろく人間社会との関係の中に見だして行くという主張であります。日本の芸術に最も不足していたものは人間の意識であります。その人間の意識を古い「私」から今日的な「我々」の場に移してゆく考え方であります。従ってこの表現様式には多分に現実の生活の匂ひが反映することになり、当然ヨーロッパの絵画の形式とは異なる日本的なものがでてくることになります。

表現派

写実派が自然の模写、再現と基調としたものに対し、自由な色彩と形の展開によって内的な欲求を客観化し、そこに新しい絵画空間をつくりだそうとするものであります。

この反写実主義は発展して抽象絵画に近いものとなり、また主観主義に立つことから、明らかに本能的、感情的なフォーヴィズムや幻想的、非合理主義的な超現実派とも接する幅をもつことになります。

以上、特色ある三つの傾向の主張でありますが、これが自由美術の作品鑑賞の手引きとして、一層の理解と関心を深められることになれば幸であります。

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