過去を想い出して

伊 藤 朝 彦

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伊 藤 朝 彦   裸婦   1965 年

2003 年頃頃研究部に携わり自由美術の活動を少しは知りましたが、今日88 才の年を迎え同世代の仲間達がみんなあの世に去ってしまい、過去の事は思い出せませんが、記憶にあるままに記してみました。

私が美校を卒業し日本画を止めて油絵を始めたのは1949 年、戦後間もない頃でした。

日本画の素材を広げて描けるアトリエは無く、イーゼルに油で小品でも描けたらと考えたのが始まりでした。当時友人の杉原清司が自由美術に早くから出し会員でいたので、自由美術を見て泥臭い会だと思いつつ出品しました。杉原宅へよく遊びに見えた鶴岡政男を知り会員となってグループ「むさい」展など持ち、美術団体の面白さを感じ出品する様になりました。鶴岡さんが焼物をされ私の勤め先の室に女の顔のレリーフを素焼に焼いたこと、今でも時々拝見し想い出します。

上野の美術館が新しくなる前、地下室で井上長三郎による選抜展が開かれ活気付いたものです。当時の社会では安保闘争で学生達のデモがあり死者を出した始末でした。私達も井上先生を囲み池袋駅前で作品を展示し「平和えの宣言」をしたものです。新聞誌上では批評家が公募団体の紹介をし、批評をのせていましたが、今日では全く見られません。

自由美術が新美術館に移って会員出品者を平等に並べ、会場は見易くなりましたが、力作の賞賛の形は乏しく残念です。

上野の旧美術館の頃、第五室は西八郎を中心にシュールリアリズムの力作作家を集め、2、3点並べて展示されたものです。今日とても望めません。私が研究部の折、自由美術の画集を出して欲しいと願っていましたが、今日いまだ実現出来ず残念です。

今日の自由美術には具象画が殆どなく、抽象主義の傾向が強くモダンアートの会といった處なのでしょうか。一本の木から鉋で削り落として神仏を彫りでした円空の木彫は、心底から湧き出す思想が自然に湧いて出ていることは胸を打たれます。絵もそんな気持ちで描けたらどんなにいいでしょう。

井上長三郎、鶴岡政男を中心に仕事をして来た私ですが今日両先輩にちなんだ仕事は出来ず、のうのうと仕事をしている私が恥ずかしい限りです。魅力ある画家の作品を一点主義とせず展示してほしいと願う私です。

同封させていただいた個展の案内状は、1965年の旧作です。自由美術初出品の頃の絵なのでこの機会を借りて紹介させてもらいます。

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