私と自由美術(大川美術館で考えたこと)

石 井   克

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「変相する森 2016 − A」 石井 克

 大川美術館は元ダイエー副社長であった故大川栄二さんが収集した千二百点あまりの作品を平成元年に寄贈してつくった美術館です。現在七千点あまり収蔵しています。

大川さんの絵の集め方は、「絵は人格である」「あきた絵ははずす」大変主観的でシンプルなものです。松本竣介「ニコライ堂の横の道」にであい、その絵のとりこになり、これがきっかけになって収集がはじまったのです。大川さん独自の解釈で美術の歩みや一般的な知見とは離れて有名、無名に関係なく収集しました。その作品の多くに自由美術に関係した人の作品があったのです。

私は友の会の仕事をしているので、今年になって三十回近く訪れています。会議、催し物、展示手伝い、美術館関係の人、知人と会うなどなど・・・そのたびに展示されている作品をみています。この二十八年間にどのくらいみているかわかりません。展示の時私があこがれているエルンスト「森(月光の中のモミの木)」ルドン版画集「悪の華」、ジャコメッティ「デイエゴ」など小品は手にとってみられます。

収蔵作品、展示してある作品のなかで、自由美術に関係し、私の心のひだまで残っている作品は松本竣介「街」、靉光「風景」、山口薫「着物の十字架」、長谷川利行「二人の女」(自由美術ができる前、一九三〇年協会出品)、浜田知明「初年兵哀歌」、麻生三郎「としより」、オノサトトシノブ「作品(赤とオレンジの色)」、瑛九「自転車」、小山田二郎「鳥女」、井上長三郎「紳士」、吉井忠「下北風景」、大野五郎「海沿いの二つの道、襟裳岬にて」、鶴岡政男「赤ちゃん」、野見山暁治「人」、難波田龍起「生きものの神話」など枚挙にいとまがありません。それも一点でなく数点、松本竣介、浜田知明、難波田龍起、オノサトトシノブは五十点にも及ぶ作品があります。そのなかから三点とりあげてみました。

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松本竣介「街」(F100号)

<街が展示していなかったのは他の美術館に貸し出した半年あまり>、私は二千日近くみていることになります。大川さんは青く静粛で何度見てもあきない。何百回みてもあきないと口をすっぱくして話していました。私も同感しています。竣介に関しての講演会、座談会などなど・・・数かぎりなくありました。この絵には何が描かれているか、どういう人の影響があったのか、造形上どんな風に出来ているのか、竣介はどういう人間だったのかなどということに目をうばわれていることもありましたが、いまはただ透きとおった美しさにひかれています。

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いま展示していて一番気に入っているのは靉光「洋型」、長谷川利行「二人の女」です。並べて展示してあります。展示場のすみっこですが、私には特等席にみえます。二人の作品もいつもわくわくしてみていました。展示する機会も少なく、まちに待ったものでした。その二点の展示作業を私がまかされたのです。二つの作品を手にとってふるえながらすみからすみまで・・・この一年間そのままうす明かりの中で静かにあります。みている時間は二・三分のこともあるし二十分、三十分のこともあります。描き方はちがいますが時代とまっすぐに生きている二人の心のなかがみえるような気がするのです。

足利市立美術館で、画家の詩、詩人の絵という展覧会がありました。長谷川利行「靉光像」と詩がありました。

靉光に 
昼明るき街角がある 
凡そ 歩き疲れて来る街角がある 
街角に昼の電灯は点らない 
しんじゅくのまるやの 
女あるじが油絵を描くから 
と云って 
そのキャフェで 
麦酒を飲む

この絵と詩にであったあと二人の作品が更に輝いてみえます。あきないのです。

大川美術館の絵にみられる特色は人格の表現であり、めざしているところは人生の真実である。たぐいまれなポエジーである。これこそ「自由美術」の底流を貫くものではないかと私は思います。

私もそういう絵を描きたい。 

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