嘘が95%、真実が5%の言い分

ミズ テツオ

 

まず、今年の自由東京展で感じた事いっちゃおうかしら。皆さんうまいなぁ、まとめてるなぁ、まとめるのが生きがいのよう。しかし何が絵というものか解らない人が多いのも困りものだな。それとも忘れてしまったのかしら。大切な、心がどっかにいっちゃってる。技術は間違いないくらいうまい。そのことを本人もわかってらっしゃるようで!しかし、なんだな、秋と春と同じような自由展を観せられてもどうかしら。春の自由東京展は実験の場としたら、そんな勇気ないかしら。いったいどんな画家になりたいのだろう、誰でも憧れやこうなりたいというものを持っていたと思うが、いつからこうなったんだろうと考えた事があるのかしら、絵画は片手間でやるもんじゃねえんだ。しかし趣味は素敵だ!皆んな画家ではなく絵描きのように思う。絵画依存症かな。絵画を馬鹿にしてはいけない。絵画は人の人生を変えることも出来るんだ。うまい絵を描く人は世界中に五万といる事を知っているのかしら。今はいない過去の画家達に失礼にあたるよ。これは嘘ではない、彼らが絵の為にいかに自分を犠牲にしてきたか。切なく哀しい人生を送ってきたか、画家とはサラリーマンや普通?の人々とは違うのだよ。昔、僕は画家とは人間であってはならないと書いたことがある。つまり画家とは人間である前に画家でなければならないということです。でもこれもお笑いかも。他の芸術一般も同様であるように思うがいかがかしら。誰も書かないから僕が書いているしだい。文句がある人もいるでしょうが、言ってきて下さい。討論でもしましょう。ぜひ僕を説得して下さい。難しく書けなくて申しわけなく思っている。言葉を知らない小生、何ごとぞ、でもへのカッパ。なにごとも解りやすく、分かりやすく。

ここで山本周五郎の言葉を引用する。

僕が感じ入った言葉です。

 芸術は真に入るほど、世俗からみすてられる。

 画でも音楽でも、芸術性とは独自性と新し

  い発見をそなえているかどうか、というこ

  とではないだろうか。

  「才能ある人間が新しい芸を創りだすのは、

  古い芸にかじりついているよりよっぽと本

  筋だ、世間なみの義理や人情のために、創

  りだせるものを殺しちまうとすれば本当の

  芸人じゃあねえ、本当の芸っていうものは

  な、−ときには師匠の芸を殺しさえする

  もんだぜ」

  芸というものは、八方円満、平穏無事、な

  みかぜ立たずという環境で、育つものでは

  ない。あらゆる障害、圧迫、非難、嘲笑を

  あびせられて、それらを突き抜け、押しや

  ぶり、たたかいなかじら育つものだ。

         出 新潮文庫
           山本周五郎 著
          「泣きごとは言わない」

 いかがかしら。

  僕の美意識

 女性はスカートをはくようにしよう。ズボン

はケツばかり目立って素敵ではない。少しもエ

レガントではない。

 スケベな僕だけかしら、こんなこと感じるの。

 それと電車の中で用もなくスマートフォンを

いじるのはやめよう。美しい光景ではない、僕

は美しいものがみたいのだ。

 これらのことは全て絵づくりにつながるよう

ですよ。

 最後に

  みなさん

  恋をしよう

  そして 大失恋して

  なげき 悲しもう

  これもすべて絵よ。

            2016・6・22