時代を映す美術

大 野   修

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大野 修

明治、大本(おおもと)教の教祖出口なおは今の世は獣の世で強い者勝ちの悪魔ばかりの世だ。神が世に現れて三千世界を立てかえなおす(すべからくどのような宗教もこの教義を持っている)近代に向かって邁進している明治の世をさめた目でみていたわけで、明治、大正、昭和を通じて貧者の共感をえて信者は拡大しつづけたが、立てかえ立てなおしは革命思想だとされ時の政府から弾圧された。

特に1936年の弾圧はひどいもので不敬罪、治安維持法が適用され拷問による死者は20人近く、発狂、不治の傷害者多数、社殿、施設はダイナマイトも使われて破壊され全て更地となった。敗戦後復活したが神がかりの強い、儀式が前に出た宗教となり、教祖の世の不条理を越えるという思念はない。ただ取り合わせは妙だがエスペラントの普及に力を入れていることには敬服する。

なぜこのような事を書いたのか、それは自由美術が政府の意向で名称を変えさせられた弾圧寸前の時期があったからで、会の成り立ちの記憶として忘れるわけにはいかない。

会の創立は1937年で日中戦争がはじまった年にもあたる。前年には2・26事件があり、次年には悪法、国家総動員法で国民はしばられる。おまえ達は、今中国で皇国の兵隊がお国のために尊い血を流して戦っているのに自由とはなにごとか、それに絵を見ると○や□や△がおどっているではないか、(会は抽象絵画をもって出発とした)きっと抵抗したと想像するが、東条内閣が出来た1941年にたまらず美術創作家協会と名前を変えた。1947年新憲法発布をまって会名を自由美術家協会ともどしたが、数ある美術団体で会名を変えさせられた会は無い。

自由美術に集まった人達はそういうこともあって、戦争を描いた人はいても、いはゆる戦争画を描いた人はいない、これは戦時中体制におもねた多くの美術団体とちがっている。飾ることをせず、率直に又きびしく自分と周辺を見た人が多かったのではと思う。

これが戦後自由美術の絵が共感を呼ぶことになるのだが、体制的になりがたいその感性と精神は細々とながらも今も脈を打っている。だが乱暴に言ってしまうが、自由美術の作品に対する大方の世評は、グランドピクチャーに欠ける、もたもたしていて素人っぽい、これといった技術が見えない、などなどであって私は会外の人からよく聞かされる。明快で巧緻な技法で華々しく、スケール大きくグランドで、画面も大きく、これぞ玄人の作品というのは誰にとっても理想とするところだが〜〜〜〜他展を見ると、かくのごとき立派な作品が多くて感心する。

今も昔も絵を描き彫刻を作るにはむずかしい時代で暖かい風が吹いた時はあっただろうか。封建時代と資本主義の今、富の偏在は制度が続くかぎり必然で、階層の分断は止まることを知らない、経済と政治の闇は私の想像をはるかに越えてうかがい知ることが出来ない、どこかに魔王の巣ががあるのだが、なにがどのように、だれがどのように制しているのか、闇は深い。

自由美術に集まっている人達の作品を見ていると現実をまじめに、しょうじきに背負っている人が多い。はったりをかましている、逃げている、かっこつけている人は少ない。だから私にとって魅力ある会なのだが、しかし自由美術を運動体として見れば1950年のモダンアート協会に続いて、64年には主体美術が会から分かれた、なかでも主体美術との分裂は、作品の多様と組織の内実が文字通り半分となりお互いにマイナスを背負った。過去、我が国では美術の解釈のちがい思想的葛藤の末の分裂は無きに等しく、原因の大方は人間関係で自由美術もその例にもれない。美術団体が分かれてお互いが立つという時代は大正までで、今美術団体は200近くあるがその数の盛況と裏腹に衰退ははなはだしい、原因の一つは階層を作っていることで、法人化されていないところでも、顧問、会長、理事長、監事、参与、評議員、会員、会友、出品者、などなどあり、若者にかぎらずこれは きもい のではなかろうか、自由美術も会員、出品者という区別がある。これも私曰く過去の遺物であって、5回入選したら会員とすることを提唱している。地中からメタンガスがわき出して燃えているのに会員、出品者も無いだろうと思う。

私達は絵を描き立体作品を作っているのだが、昨日読んだアメリカの美術批評家S・ホムサン氏が書いていた文章の中にこんなのがあった。要約すると、美術はその時代を写す典型的表現でなくてはならぬ、ということは資本主義的美術でなくては価値がない。その具体的作品は、BIGで強烈パンチ、ダイナミック、多彩、明るく明朗、セクシー、巧緻な特殊技術、製品は日々変化すること、個性的奇抜作品、面積重量スケール大きくグランドピクチャー、動かしたり光や音出しもやれ、資本(金)を注ぎ込め〜〜〜〜さればスポンサーなど諸々の良きことがついてくる。ごもっともなアメリカ的な直裁的論で、いろいろな近現代作品を思い出した。されど穴だらけつぎはぎだらけ、矛盾噴出のこの世の風に吹かれ、さまよっている者には、彼岸のかなた無縁の世界で、むしろ。ホムサン論に抗していくことがこれからの本流となるのかも知れない。

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