自分の制作と自由美術、彫刻の普及

吉 田 光 正

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「烈風の家族」          吉田光正

自由美術展出品の中で創作を磨き深めました。私が自由展に初出品したのは1976年の35歳の時で比較的遅い出発です。それまで毎年展覧会を拝見していて、同じ美術大学の先輩がいたこと、彫刻部のある公募団体の中で自由美術展会場が一番魅力的で優れた彫刻が一杯ありました。会の趣旨がすばらしいのと、其の運営も理想的に運営されていたことなどに引かれたからです。会員同志それぞれが対等平等で民主的に運営されています。それはわたしが会員になってからよく理解できました。彫刻部も60人ぐらいを維持しており会員全体が交流できる理想的な数であると思っています。40年の年月の間には少しずつ入れ変わっております。何より会員一人一人が対等で上下を作らずにそれぞれが真剣に創作に取り組んでその時の力作を展覧会に出品して、切磋琢磨して作品で勝負しています。其の姿勢がすばらしいです。日本でありかちな肩書の上下や師弟の関係で左右されることかありません。その関係は理想であっても実現はなかなか難しいのです。自由美術は作品本位でそれぞれが勝負しています。優れた良い魅力的な作品を造ることは非常に難しいことです。それは地道にしかも謙虚に自分の創作目標としている課題に取り組み、より深めていかなければなりません、言葉では簡単ですが実際の創作は非常に難しいです。私か彫刻を始めた1960年代は絵画を含めて抽象主義が全盛の時代です。又、彫刻全休の中で石彫を中心に制作している作家はほんのわずかでした。しかし世界の彫刻の歴史を眺めた時石彫が圧倒的であったことも知りました。また、当時の日本の現代彫刻を見たとき技術的には優れた作品が一杯ありますが彫刻のダイナミックスさや強さが足りないことにも気が付きました。具象彫刻は特に其の様に思いました。しかし日本の彫刻の歴史は仏像ですが飛鳥、白鳳、天平そして鎌倉時代は世界に誇れるダイナミックスさや強さを持っていることなどからも学びながら現代彫刻を創ることになりました。石彫を中心にした彫刻をやろうと思い創作に取り組んできました。また、市民の中に彫刻を普及させるために街中の公共施設にひとつでも多くの彫刻の設置を目標に取り組んでいます。これは自分の彫刻に限らずに藤岡市出身の星野宣(1906〜1990)柳原義達など他の人の彫刻を建てるということでも努力をしてきました。私自身今日までに公共施設に70ヵ所に、海外もオーストラリアのパースのカーティン大学、キューバのサンチャゴ・デ・クーバ市に設置してきました。石彫を中心にやり始めてから年月は経ち今日では現代社会全体にとって文化芸術の果たす役割は非常に重要であると言う認識はできてきましたが、まだまだ彫刻に対する理解は進んでいません。野外彫刻もだいぶ多くなってはきましたが。市民が彫刻に接する機会がまだまだ少ないからです。

もう一つは彫刻制作者と愛好者を増やすことです。1982年に群馬彫刻研究会を創立、共同アトリエで毎週一回集まり創作の指導研究を行っています。1、モデルをおいて彫刻の基礎を十分身につけること。2、彫刻研修会で日本の古典や世界の彫刻の歴史や現代彫刻から学ぶ美術館巡り。3、現代作家から直接学ぶアトリエ訪問、佐藤忠良、高田博厚、柳原義達、堀内正和、峰孝、鈴木政夫、西常雄、北村隆博、池田宗弘などの作家たちです。創作技法や創作の造形哲学など作家の人生哲学を含め学ぶことができました。彫刻にかかわる人達を増やす努力をしています。