1 0 年前の夏

日和佐 治雄

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「賢人圖」色即是空         日和佐 治雄

 昨年の6月、長い間住んだ姫路を離れ、故郷の大分に転居しました。

荷物を整理していると、就職して間もない頃のグループ展の案内状(高校時代の同窓が大分に集まってやっていた)が出てきました。その3回目の案内状の挨拶文に、私は、

「私たちは働く者として仕事の合間に絵を描いている。疲れた体にムチ打って筆をにぎる時、ふと頭をよぎるのは、“私はなんのために描いているのか”という問いかけです。…」といった書き出しで、キャンバスに向かう時の思いを述べていました。

絵を始めたばかりの頃だから、気負いの目立った文章になっているのは仕方ありませんが、その頃は、靉光や松本俊介など異端と呼ばれた画家たちの生き様に共感し、憧れにも似た感情で、画集の暗く濃密な作品を繰り返し見ていました。

そして、苦労して描いた作品を、高揚した気持ちで仲間とともに展覧会場に陳列した時の思い出は今も鮮明です。

ところで、

誘われて、自由美術関西展に迷いながら出品したのは10年前の夏です。

その会場には100号ほどの作品が整然と陳列されていました。歳が歳だし、団体に入ると自分の絵が描けなくなるという思い込みもあってためらいましたが、関西展の会場に漂うてらいの無い作風に親近感を覚え、自由美術協会への入会を決めました。

次の年の春、神戸で毎年開催している大阪支部の「赫展」に初めて出品しました。

広く美しい会場で作品の陳列作業を手伝っていると、絵を始めた頃のグループ展の会場で感じたような、何かしら新鮮で形容しがたい思いが心の奥にわいてきました。

掛けられた作品はどれも力作で、出品者の誰もが忙しさにかまけず、時間を惜しみながら制作に励み、見応えのある作品を創り上げていました。

前述した挨拶文の、「なぜ絵を描くのか」というありきたりで厄介な問いに対して、当時の私は、「がむしゃらに描くしかない」と答えて文章を結んでいます。

しかし、私はその後、がむしゃらになることもなく、勤めの合間を縫って遠ざかってしまわない程度に制作してきましたが、大阪支部の方々が、長い年月、鋭意制作に励んできたことを目の当たりにして頭の下がる思いでした。

それからは、本展や支部展・関西展・グループ展など展覧会に追われる日々が始まり、支部の会合や展覧会で集まればワイワイガヤガヤ、気が置けない仲間との忌憚のない会話に心を弾ませました。

大阪支部の方々との交流は本当に楽しいものでした。

あれから10年、故郷の大分に居て「今の自分の制作はどうだ」と振り返ると、自分の仕事を着実に推し進めているとも言えず心許ありません。

いつの間にか健康に気を遣う年齢になってしまいました。もうあの若い時代の清新な情熱を取り戻す元気はありませんが、故郷の空気の中で、もう少し「自由」に、足元に目を向けながら制作に励みたいと思います。