相互批評

西尾 裕・田川久美子

田川久美子さんの作品 西尾 裕

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田川久美子:「時の配分」

田川さんの個展を、15年ぐらい前に見た事がある。小品の風景の美しい事。色がこなれていて、形の整理も見事であった。聞けば、高校生の時代から、大人に混じって油彩で風景画を描いていたとの事。早熟の才能は、当時から目を引いていたらしい。大学には彼女の作品が残されている。また、田川さんと同期生村上津嗣枝さん二人は、同大学の広島県教員採用の第一号になり、当時話題になったと聞いた。

わたしが就職したとき、田川さんは、嘉屋重さんと同じ職場で、私の隣の学校にいた。その時の印象、ファッションは全く今のまま。濃い化粧、赤いマニキュア、職場の仲間からは、「マダム」と呼ばれていた。感心するのはそのスタイルが終世変化しなかった事。今日、学校現場は、自由な雰囲気が薄れ、女性教員も派手なスタイルは、自粛する傾向にある。その中で、「わたしはわたし」を貫いたのは、立派である。

「田川さんはどうして風景画を描くのをやめたの?」と聞いてみる。「ものすごくうまい」風景画を捨てる事はないと思うからだ。すると、「風景画に限定すれば、自分がかきたい色や形に限界があると思った。緑を塗れば、植物が連想され、自分のやりたい事が出せなくなってしまう。」という答えであった。

確かに田川さんの絵を見ていると、自分の描きたいと思った事をストレートに、のびのびと表現している。いつもうらやましいと思う反面、これは自分にはついて行けないと感じる事も多い。たとえば、白い指先に真っ赤なマニキュアを平気で描いている。それを見ると、「いやあ、僕にはできない」と思ってしまう。自分の中には、自分の絵に対する方程式のようなものがあって、その窓から作品を見てしまう。その時、田川さんの作品は、私の方程式の外にあって、評価不能に陥ってしまう。

恐ろしくすごい作品ができそうな可能性を感じる事もある。昨年、田川さんの個展の作品を見たときの事。抽象的要素の強い小品であったが、どことなく静物、ものの存在を感じる作品。巧まずしてとはこのことをいうのだろうか、必要なところに必要な線があり、ちょっと浮き気味と思うところには、少し違う色で、的確に押さえている。これはちょっとやそっとで、できる技じゃない。15年前に見た、風景画のすごさがよみがえったような気がした。もしも、100号の大きさで、これができたら前代未聞の傑作になるだろう。田川さんの作品は、いつもそんな可能性を感じさせてくれる。

美学者、金田晉氏の田川評でまとめとしたい。

「記念写真」とある。自分たち夫婦の少し若ぶった、たとえば特別のお祝いの記念写真なのだろうか。それとも遠くに離れている孫二人の親から送られてきた「こんなに大きくなったよ」を伝える記念写真なのだろうか。年齢不詳の二人、それでもどこか朗らかでユーモラスだ。右の女性がオシャマで元気、左の多分、男のほうが持て余し気味のようだ。指に赤いマニキュアをした女の手が饒舌である。とげとげしい世の中ひととき忘れて、家族の日常性を拾い上げた楽しい一コマになっている。(金田晉)

美術ひろしま2013-14掲載、第77回自由美術展出展田川久美子「記念写真」

西尾裕氏の作品について 田川久美子

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西尾 裕:「可能態」

西尾裕という人間は絵画作家の道を選んだ。西尾氏は常日頃"良い作品"を描きたいと言う。今年は平面表現の可能性を追求するために、興味を持った題材は何でも描いてみたい。実験の年になれば良いと思っていると言う。

作品の“可能態”は受動でも能動でもなく潜在的な発展性を求めたかったのか。作者自身なのか。この作品は美しい色彩が点在する中で仕上げている。西尾氏の最近の作品はおもいきり良く、勢いのあるアンホルメルの絵画としてしか私は認識していなかった。時折作品の中にフォルムを感じていた。聞いてみると人間だと言う。閉塞感漂う社会から立ち上がろうとする人間なのか。今を生きる世の中をしっかり見つめているのだろう。

西尾氏は広島自由グループ"黄人"を立ち上げた灰谷正夫、清水勇、小間野生穂(3氏とも故人)と学生時代から交流があった。この三氏から絵を描くこと、生きること、絵画を通して何を訴えるのかということを何度も議論の中に入り肌で感じ学びとっていった一人である。

先日広島自由の仲間達と酒を飲みながら語るのに広島の作家は甘いよねと言う。一つは絵画制作に向き合う態度。もう一つは絵画の本質を見抜く先達が少ないこと。

西尾氏は仕事を辞してからここ2年広島の作品を自らトラックを運転し、本展、東京美術の会場へ運んでくれている。ただただ頭の下がる思いである。展覧会中は中央に滞在し、多くの作家、作品との接点をもち続けている。本人の言う“良い作品”づくりのために喘ぎもがいているのである。自分の中にいる得体の知れないものを吐き出したいのだろう。やさしい愛情ある人間だが時折相手をひっかく。広島自由の我々への叱咤激励としておこう。

自由美術の展望でもある今を生きる世の中、人間、現実社会の中に、少なからず影響を与え続ける作家でいてほしい。