自由美術 佳作賞展から

'14年受賞者による佳作賞展'15年4月15日(水)〜21日(火)
PAROS GALLERY

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吉見 博

佳作賞展初日、出品者を囲んでささやかなオープニングパーティーが開かれて、なごやかに作品合評会も行われた。広島から駆け付けた、西尾裕さんが撮った会場風景や作品写真はその当日に氏のフェイスブック(インターネットSNS)に載り、同時に自由美術会員有志によるフェイスブック「自由プラスART」にも転載紹介されて、日本はもちろん世界20 ケ国以上の美術家や美術関係者に届けられた。美術系学生が「自由美術」という名称さえほとんど知らない昨今、情報はマスメディアや上からのものばかりでなく、誰もが自己責任のもとに情報発信できるフットワークの軽さは若い人たちに向けたメッセージを届ける可能性を持つだろう。

編集部から原稿依頼のあった三氏の仕事はいずれも、どこかで現実と繋がったテーマを持ちながら造形を追求しているように思う。

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沖田香津美さんの30 号横型は、クローズアップされた赤い花が画面の右と上下にはみ出していて、左側には黒い縦長の背景が描かれている。

昨秋、本展の大画面の花(植物)の絵とは少し異なった狙いがあるようだ。それはタイトル「A memory Colours」からも黒色と落ち着いた赤色の関係が作家にとって大切なものであることが窺える。身の回りの写生というようなものではなくて、宇宙スペースに咲く花なのかもしれない。黒い空間に生まれる花とその花芯は生命の起源のようにわずかに艶く震動しているのだろうか。

花弁の個別の形がやや部分的な説明に陥ってしまったのは残念だが、微妙に有機的生命体のような温度を感じさせて興味深い。さらに、花弁の外の黒い形態はとても大切になって来るでしょう。そしてその暗さの中に光が入って来ると全体が画面として関連づけられて拡がっていくでしょう。

自由美術本展2015_img_50_1.jpg 相良由紀さんの横型30 号も、黒い広がりを持つ画面だ。その最上部には闇の中の雲のようなカタマリが横長に置かれて、広い闇の右下部には豹あるいは猫のような動物の側面から横長に白い形として描かれていて全体の「暗」に対しての「明」を主張している。

可愛い小動物にも見えるが、「闇に吠える」とでもいうような野性の生命力だろうか。

全体を覆う黒、グレー、白の階調は相良さんのいつもの色彩だ。「画面をおもしろい形にしたい」という作家の試行錯誤がやがてそれ自体を突破して、追求の果てに実を結ぶことを大いに期待したいと思う。

自由美術本展2015_img_51_1.jpg 吉村 俊さんの「曳航」と他の1点は版画(デジタルプリント)である。油彩で制作していた期間も少しはあるという吉村さんのコンピューター技量については論評できないが、非現実空間の中に配置される様々な要素−岩盤の重厚な手ざわりや、船体や、自転車、ハシゴ、雲など−必要とされるモチーフを画像としてコンピューターに取り込み、それらを再構成している。そうやって提出された平面を、僕たちは一枚の版画として見る。

東日本大震災の記憶も影響していると作家は言う。未だ恢復されない悲惨な被害と、脆い社会と人間への祈りなのかもしれない。作家が立ち向かった現実の、非現実空間に浮かぶ船に架けられたハシゴを昇るのは現代の「ノア」かもしれない。手に持つ筆をキーボードやマウスに変えた時の、その方法の可能性を見据えた決心が思われる。

永畑隆男

森田優子さんの作品について

自由美術本展2015_img_52_1.jpg 昨年の自由美術本展の際、展示されたばかりの森田さんの作品の前を通りかけて、今までの作品とどこか違っていて思わず足を止めて見入ってしまったのを記憶しています。数日後その作品は森田さんが自由美術に出品してから初めて佳作賞を頂いた作品だったことを知りました。

今回のギャラリー「PAROS」での佳作賞展に森田さんは三十号の作品を二点出品されていました。テーマは「繁殖するころ」と本展の作品と同じでした。二点とも顕微鏡で何かの細胞を覗き込んだような作品で、色彩的には青い地に黄色とマルスブラウンのような色が絡み合い彩度の高い美しい作品でした。構成的にはタイトルが示す通りオタマジャクシや蚕が画面いっぱいに泳いでいるような感じで生命感に溢れています。二点の中で右側の作品が全体的に良かったと思います。特にこの作品は会場では気がつかなかったのですが、後で忘れないようにとデジカメで撮っておいた写真をプリントして気づいたのですが画面の中央上部にあるハート型の口のような形が森田さんが大きな声を出して話をしている時の口に思えて来て森田さんでなければ描けないユニークな作品ではないかと思いました。左側の作品は右下の卵のような丸い形が行儀よく横一列に並んでしまったのがちょっと不自然に感じました。もう一工夫されてはどうでしょうか。佳作賞をいただいた作品はもっと自然でゆったりしていたように思います。益々のご活躍を期待しております。

香月節子

笠井順子さんの作品をみて

自由美術本展2015_img_53_1.jpg 「饒舌な庭」という題、作品を見てすぐ納得してしまった。庭に生息するものたちのざわめきが聞こえてきそう。けっこう自己主張の強いものたちが棲んでいるようだ。

作品を一見した時、私は版画だとは思わなかった。何回も何回も刷り重ねて創られた、庭に棲むものたちの世界は、私がイメージする版画の世界をはるかに超えていた。

「饒舌な庭」以外、彼女の何点かの作品を目にしたが、いずれも嫋やかでそして力強さを感じる作品である。そして何よりも守りの姿勢に入っていないということ、笠井さんのその点が最も好ましい。

守りの姿勢に入らないでいるということ、それを維持するのはそう容易ではない。人はいつのまにか強いられるわけでもないのに殻をまとい、守りにはいる。そしてそれを脱ぐことを忘れる。どこからか、思うがままに「自由」に表現すれば、という声が聞こえてきそう。しかし、この「自由」という言葉がまた厄介である。この言葉に翻弄され囚われもする。むしろ表現する手段に規制があるなかでこそ、表現をより凝集させることができるようにも思う。矛盾なのだが。

笠井さんの作品をみた時にふっと吹きぬけた風、それは立ちかえりたい自分の居場所に吹いていた風でもあった。

児玉寿美子さんの作品をみて

自由美術本展2015_img_54_1.jpg 児玉寿美子さんの「手紙」と題された作品、なんとも懐かしい空気を醸す作品である。オレンジ系の色の響きあい、塗られた触感は心地よく、この空気のなかにすっぽり潜りこんでみたい思いにかられる。

友人や知人に手紙に綴って語りかけるようにキャンバスに描きはじめたのだという。例えば「今日、種を蒔きました。」というような。日常のできごとのありのままを、その語りは時のながれのままに、またある語りは時を行き来してキャンバスに綴られる。種が芽をだし、豊かに実って、それが食卓にと。見る者は作品から勝手に自分の思いを託して空気を読みとる。

児玉さんのキャンバスに綴られた日々の場面は、ゆるやかに韻をふみ、叙述誌、いや叙述詩歌と表現したほうがよい。

作家が作品に真向かう空間には、誰もふみこめない。しかし、ひとたび作家のもとから離れた作品は、見る者の間を浮遊し、自由に独り歩きをし、見る者は作家の意図とは関係なく触発もされ、思い違いもして、自分の色に染めて捉えようとする。それは見る者の特権でもあろう。見る者はまことに勝手である。

児玉さんは、日常の物語を紡いで描き、さまざまな物語を織りこんで幾枚も描いていくこと、そのことは今後も変わらないだろうと話される。そう言われると、かえって児玉さんのスタンスが変わった時の作品がどのように描かれるのか見てみたい思いもある。

斎藤國靖

中元寺俊幸さんの飛翔

自由美術本展2015_img_55_1.jpg 中元寺さんの作品は、本展と同じく佳作賞展出品作も鳩がモチーフとなっている。本展作品では、羽根も肉も削げ落ちた鳩が、意志の力だけで屹立しているような迫力に満ちた作品であった。今回の展示作品の鳩は、さらに解体されたかの如く描出されている。

鳩は平和の象徴であり、その平和に対する最近の政治状況の在り様への危機意識が表現されているのであろう。このことは佳作展示場での中元寺さんの自作解説で理解することができた。

しかし私は、そのテーマ性よりも、中元寺絵画にみられる“暴力性”に魅力を感じている。それはフランシス・ベーコンに通底するような暴力性であり、ヒューマニズムよりもアナーキズムに裏打ちされたように感じるのである。

本展の作品では、明色の地に、暗色でフォルムが描出されていたが、今回の作品は、暗色の地に明色でフォルムが描出されている。前者の場合は白紙の上に鉛筆や木炭で素描する方法と共通しているが、後者の場合は、ヴェネツィア派以後の油彩技法と共通するものであり、慣れてくれば合理的な手法となり得ると思う。現段階では、本展作品の制作方法がフォルムを追求しやすいのではないかと思えます。この方法の違いが、本展作品と佳作賞作品との差異となって顕われたと思います。

川西みどりさんの作品から

自由美術本展2015_img_56_1.jpg 「風に吹かれて3.11 その後」。本展作品も佳作賞作品も同じタイトルでした。心象風景に昇華されたのでしょうか。

透明感のある黄色調と赤色のハッチング。暗色のたらし込み。白色浮出による花のようなフォルム。それらのベースとなるプレパレーション。水性絵具の特性が生かされた美しい画面です。

気になることは空間構造です。平面絵画の奥行きをどのように把握し表現するかということです。

本展作品では、画面中央の暗色が深淵な奥行きになっていました。佳作賞作品では、暗色が明色に対するアクセントになり画面全体が平面的に処理されています。このあたりの追求が、川西絵画を趣味性に落ち入ることなく、豊かなものとしてくれるのではないでしょうか。

立体部 小野田勝謙

本展作品とギャラリーパロスでの作品について

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本展の展示作、大竹たい子氏「翔」は日常生活ではあまり見る事のないポーズである。上を見上げて身体をそらせる姿に取り組みたい作者の意志を感じる。基本がしっかりとした作品であるが、ここまで塑造力があるのなら、基本に忠実に作る以上に、自分の中で再構築した形を見てみたい。

朝倉和博氏の「吹きすさぶ」は、具象作品でありながら、抽象として美しい形をしていた。又、佳作賞展での和装の花嫁立像は、ギャラリー内で不思議な異彩を放っており、印象に残った。しかし着物を取った時の元の人体の組立が甘く、しっかりと立っているという点で弱さがあるのが惜しいと思った。

自由美術本展2015_img_58_1.jpg 佳作賞展での安ちか子氏の作品は、本人がギャラリーの独特な展示空間を意識したと語っていた様に、鑑賞者の目線を想定、上から見下ろす形であった。そこには確かに安氏の世界が在った。最近の彼女の作品には着色が施されているが、私にはこの彩色がかえって立体を弱くしている様に感じる。着色のない状態の作品を見てみたいと思った。

山崎史氏の作品には完成度の高さを感じた。本展の作品とは全く違った世界。それは、ギャラリーパロスの空間で、今まで感じた事のないものであった。ひとつの世界を作る為に、彼はあらゆるアプローチを用いている。りんご、灰、石、本。メッセージ性の強いもの同士がケンカするのではなく、ギリギリのところで一つの作品になっている。深い静寂の中で、さらに静かに強くメッセージを発していて、その空間の中に吸い込まれそうになった。この人の作品をもっと見てみたいという気持ちが湧き上がった。

ギャラリーパロスでの展示は、皆それぞれ、本展受賞作とは違った印象に残るものであった。

立体部 柴田紀子

(安ちか子氏「阿・吽」について)

最初の印象は、思いのまま気の向くままに彫るのが楽しくてしょうがないことをうかがわせる作品である。荒っぽい仕上げの中にうごめくような力強いエネルギーを感じ、はっと足を止めさせる。全体の形は自然の樹形をそのまま生かし、湧き出る創作意欲に従ってへこませたり、穴をあけたり、凹凸の変化をつけるのだろう。作家の発想と自然の樹との共同作業で作品が生まれてくるのだろう。そこには不思議な生命体のような、動く人間のようでもあり、森の精霊を連想させ、心をゆさぶられる感動を覚える。

毎年、少しずつ形を変え、全体の印象も変化してきて、今年はどう変わるのか期待して観てきた。今回の作品はなんと色が使われている。題名が「阿・吽」となっている。一方の形には、三色と四角い紙を張りつけられ、点描で着色されている。以前に観た、安氏の平面作品と立体とが合体したような感じである。やさしい色使いを全体にちらしたようでうねるような立体感は消え、ぼやけてしまった感がある。もう一つの形には赤の濃淡で大きなうねりを強調するように着色されている。二つは相反する意味が込められている。二つの異なった性格のもの(人間)が、何となく納得しあって、共に生き、呼吸を合わせていると納得させられた。

(山崎史氏「SPEAKER」について)

「SPEAKER」という題名からまず頭にうかんだのは、今年の横浜トリエンナーレに出品された「華氏451°」という映画にかかわる作品である。タイトルの華氏451°とは本を燃やすことができる温度である。本を読むことを禁止された街に鳴り響く抑揚のないスピーカーの音と、喜怒哀楽のない無表情の人々が行き来する靴音の場面に恐怖を覚え、とりはだがたったことを思い出す。「忘却」というテーマはまさに言い当てているように何十年か前の記憶がよみがえってきた。

映画に出でくるスピーカーの形は、覚えていないが、まさに山崎氏の「SPEAKER」の形をしていたにちがいないと感じた。外観は、堅く四角ばった、かざり気のない印象、後ろに回ると穴のあいた材木がぶっきらぼうにななめに二本押し込んである。前方の「SPEAKER」の穴から中を覗くと、こぶのような不気味な黒い大小のかたまりが不規則にうねって見える。たぶ ん木をつめて、燃やしたのだろうか。不穏な空気がたたよっていて効果的である。「SPEAKER」から発する音の内容は容易に想像できる。

この作品を見る人は、聞こえてくる音が何なのかを感じ、その内容を批判的に受けるか、そのままうのみにするか、それぞれの感性を問われることになる。そこまで思いを広げられる作品であり、奥深いものを感じる。

自由美術本展2015_img_59_1.jpg 自由美術本展2015_img_59_2 大竹たい子 「翔」 .jpg
山崎史 大竹たい子

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