田川久美子

自由美術本展2014_img_20.jpg

<ありのままの私でありたい>

2000 年を機に長い冬眠を終え動き出した。よ くもまあ制作から遠ざかっていたものだと我なが ら感心する。家族内でのあだ名は" なまけもの" 絵を描かない自分にこれでいいのだと強引に納得 させ生きていたように思う。年を重ねながらこれ でいいのか、何の為に生まれ、生き、死んでいく のか空しく気持悪さを感じ、自問自答の繰り返し の日々を送っていたように思える。

自由美術の存在は以前から知っていたが、展覧 会を見た瞬間に正直引いてしまった。あまりにも 自分が持っていた絵画概念と違い過ぎたからだ。 その一方はっきりと焦りを自分に対して感じてい た。広島の自由の方々と絵の話をしたり、飲んだ りする中で絵の世界に引き込まれていった。まず は描くという行為を楽しんでいこうと筆をとっ た。これに火がつき再デビューが始まる。空虚な 生活が一変し、目標が出来た。今まで自我を殺し 本来の自分を失っていたのだと痛感した。絵を描 き続けたいと素直に認めた時でもあった。小さい 頃から絵を描くことが好きだった。実家の片付け に行った時数枚の絵と沢山の通知表が出て来た。 所見に目を通せば、集団活動に欠ける行動が見ら れると何個所にも記載されていた。「やっぱりね 〜。」と娘が大笑いし、私の原点はこれかと苦笑 した。絵は私にとって空気と水と同じでなくては ならないものだと某記者に語ったことがある。格 好良すぎで反省している。

先日友人の展覧会からの帰りに久し振りにバス に乗った。バスは平和大橋、西平和大橋をゆっく りと走った。この橋は日系アメリカ人彫刻家イサ ム・ノグチのデザインが起用されており、独特の 形状をもつ欄干に目を奪われてしまった。無駄を 削ぎとった美しさがそこにあった。当時ノグチは この橋達に“生きる”“死ぬ”と名付けたらしい。 (現在は周囲の声で別の名付にされている。)生き る。死ぬ。これこそ人間そのものと共感する。

自作を見れば無駄の乱立、欲張りまる出しのも のばかりだ。やりたいように描いて、これでどう よ!! と言いたいが成立していない。組み立て(構成)が必要ということは言葉で理解はできるが作 品に出て来ない。やはり制作、鑑賞不足から来て いると思われる。余分なものの削ぎ取りも必要で あろう。

長い冬眠は周囲からみれば無駄に見えたかもし れないが今思えばこのことがあったからこそあり のままの私を取り戻すことが出来たと確信する。 どう受け止めるかは私次第である。

昔の作品を懐かしむより、無駄を削り取り言い たい事が語れる絵画追究をしたい。

この世で恐ろしいことは自分でなくなることだ と思う。思うがままに生きたい。

多くの仲間に出会うことが出来、自分自身を振 り返る機会をくださったことに感謝する。