兵藤寛司「銅版画考」

自由美術本展2014_img_23.jpg「ファミリー命」

この頃、思考が定まらずに表現力が停止するときがある。銅版画にするねらいを説明してほしいと聞かれて、十分ことばや文章に出来ないことの多さに内心悩むことになっている。運動選手が助走に入る場面ように、こんなとき私は新しい銅版を朴炭でただ磨くことにしている。ここで不思議と元気になれる。いつの頃からか、この銅版磨きの「儀式」が私を待っていて、次はヤスリやニードル・ルーレットの工具類の手入れをすることでエッチングの世界に入る。金属の銅の板は私にとって肉感的ですらある版画表現の「銅版」に変貌する。

エッチングの腐蝕液はずっと硝酸を使っている。塩化第二鉄を使う人が最近多いようだが、私は硝酸が創る腐蝕の線の味が好きなのである。ゴヤやレンブントが使用した腐蝕液の中味を誰かによく聞いて、これで版をつくってみたいと思ってそのままでいる。

私はあの17 世紀のレンブラントの銅版画にこだわっている。当時の油彩画は受注による制作が主流であったが、版画は作者自らの意思で主題を選び、自由に表現出来る手法であった。レンブラントは油彩画の複製手段と見なされていた銅版画を、工夫を重ねて微妙な濃淡の変化や繊細な質感表現まで実現させ、表現力を一気に高めている。線表現の奥が大変深いものを持っている。

そしてまた、5年前の「浜口陽三生誕100 年記念銅版画大賞展」での銅版画による一般公募展の受賞作品群を忘れることは出来ない。浜口陽三は以前自由美術結成者の一人で、カラーメゾチントのパイオニアである。出品作家は国内307 名のみならず、海外62 ケ国から338 名が応募している。彼の記念館(東京日本橋)で展示した大賞、入賞作品は、銅版画表現の多様なテーマ処理を、また多様な技法を教えてくれた。

私は銅版画の今日的課題には、多様な表現技法の追究に眼を奪われてしまうことなく、自己の主題追究・テーマ性への自覚を持つことと考える。多様な技法・新しい製版材料の発掘には興味があり、手にしたときは面白くてすぐに試してみたくなる。これから自分に必要な手法を見つけ、発展させ、自分のものになる様多様性を持って制作にとり組むことになろう。しかし、自己の絵の世界を豊かにする根本を見失ってはならぬのである。