日名子 金一郎 

自由美術本展2014_img_19.jpg「けしき 11 − 4」

絵描きは見えるものを紙やキャンバスに写しとることも仕事ですが、私はこのことから逃げていて、そのためか抽象的な表現の絵を描いています。通常、私の絵は抽象画に分類されますが、具体的なものは描いてありませんから否定はできません。自分では抽象の意識はうすいのですが、具象とも言いきれません。画題を「けしき」としています。画題からすれば具象なのかもしれません。自分のまわりの空間、見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、水や大気のながれ、時間のながれ等々、これまでの経験や体験、自分にかかわる諸々のこと、生きてきたことすべてが「けしき」です。

画題は長い間、" 作品" とか" 制作年の数字" のみの、絵やその制作意図に直接かかわらない、半ば投げやりな不本意な題名でしたので、自分の気持ちに沿う言葉をあれこれ探しておりました。やっと7年くらい前にひらがなの「けしき」にしました。このひらがなの響きが気に入って、以来これに制作年を加えて画題としています。

絵を本格的に描き始めて50 年が過ぎました。この間、絵を描くことをあきらめずになんとか続けていますが、色の変化だけみてもはじめは真黒に近い色から青になり、そして白へと変わっています。変わる時の状況は定かではありませんが、変えたいと思ってもまた同じことを繰り返してしまいます。昨今は、白地にコバルトブルーの短い細い筆跡の集積で絵造りをしています。赤、黄、緑の細線を加えることもあります。筆跡の集積は、手許が狂ったり、筆がふるえたり、力んだり、かすれたり、方向も定まらず、全く不均質となり、膨らみになったり、ゆるやかな動きになったり、いろんな表情を見せます。細線の集積を均質にして、フラットで無気質な平面ができれば、このような感情が入らない違う空間ができるかな、と考えます。

海辺で育った私の原風景として、海、波、大気、雲、空などがあります。これらを具体的に描くのではなく、自分の絵として、今まで誰もやっていない絵を描くことを若いころから願ってやってきましたが、先は見えません。もうそろそろ細線の集積はおしまいにしたいのですが、次がありません。